2013/02/28

朗読の間







マンマミーアでは『間』の会期中以下のイベントをします。
http://m----a.blogspot.jp/
作り手による「間」の座談会と、岡安圭子による詩の朗読会
2013年3月30日(土)17:30〜
(座談会17:30〜 朗読会18:20〜)
参加費/2,000円(軽食あり)
定員/30名 ※予約制
開催場所/gallery-mamma mia

岡安圭子 http://www.okayasukeiko.com/
和蝋燭を作っている大西巧さんの手で灯された空間です。
大西巧 http://www.warousokudaiyo.com/

【ご予約・お問い合せ】
☎0748−86−1552(マンマミーア)

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2008年に森岡書店で開催した個展「時間の園
その展示中に朗読をしていただいたのが岡安さん。
集中力のある朗読に空間が引き立ちました。
今回の朗読も楽しみです。 (高田)

岡安さんにも今回のテーマに関して、コメントを頂きました。

以下コメントです。
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そういえば、朗読を始めた頃は「間」が怖かったように思う。


お客様の雑談の声が小さくなっていって、灯りが落ちたとき。

前の詩から、次の詩へうつるとき。

行間という得体のしれないもの。

ふとした瞬間。ページをめくる、音。



声を出して突き進んでいるときとは違う、怖さがあった。



でも、いつからか、

誰かと、言葉にならない会話をしたり、

自分の鼓動をじっくり聴いたり、

そして、手を伸ばせば未だ言葉になっていない領域に触れる事ができそうな

そんな「間」の時を、心待ちにしている自分がいた。

岡安圭子

2013/02/27

雪ふる間



昨日、今日と、久しぶりに晴れ。
明日も晴れ予報です。
実は、先週はずっと雪か雨で
晴れ間がこんなに出ないのは、綾部に来てから(17年目)はじめての事ではないかな?
漉いて乾かすのを待つ紙も溜まってきて、焦りつつも
諦めて、ぼんやり間について考えていました。

そんな時に、なんとなく描いた作品です。
(今回の「間」には出展の予定は、していませんが・・・・)


タイトル:雪ふる間





(ハタノワタル)

2013/02/26

「虚実陰陽」



余白は3次元を平面に表現する間であり、絵画の構成上の空間である。しかしあえて「無の空間」をつくりあげることで平面から切り取られたモチーフの芸術的な価値へと導くものでもあると思う。

(高田竹弥)

写真はモジゴケ。自然の作り出す間は美しい。

線と余白


 


 
 
プレスして出す線には、温度を感じます。
生き物みたいな体温というか。

そして、線はけして線だけの存在ではなくて、
面全体、余白全てで支えられて「線」になっているんだなあと思ったりします。

氷山みたく。

氷山の一角を支える、たくさんの「間」。
見えるものは見えないもので支えられているんだなあと
嬉しくなります。
 
余白・間というのは、けして空っぽなのではなく、
静かでぬくーいものが、ぎっしり詰まってあるものなのかも
しれません。
                    
(富田惠子)



2013/02/25

『間』とは何か、接着剤みたいな?



      ●間について考える。

   『間』とは、「誰かと誰か」「何かと何か」などの間にある「目に見えないもの」の
   概念のことを指すのだと思いますが、それが何なのか私なりに考えてみました。
   それは「目に見えないけれど確かにそこに在るもの」で私たちが普段考えている
   思想や思考の部分と、感じている感情や魂のようなものではないかと思うのです。


   そして私たち(あらゆる生きもの)は、目に見える身体(モノ)という管を使って誰かに     
   目に見えない思想や魂を伝えているのだと思います。もっと言えば、その伝え
   いる思想や魂も、古くからある思想、言葉、技、芸、伝統であり、私たち個人のもの
   ではありません。
   だから、それが「誰かと誰か」や「何かと何か」の「あいだ」に存在
   している接着剤みたいなモノの名前を『間』と呼ぶのではないでしょうか?


話が少々、ズレますがその『間』という名前の接着剤は種類がたくさんあって、
人によってはその根本的な相性の良し悪しや、使い方次第でいろいろな問題が
解決できたり、起ったりするのだろうな。(笑)
ちなみに『気』という言葉は、接着剤の友達かもしれない。
「間合いが良い人」と「空気の読める人」は好ましい。  

(yoko)

腐食の時間。


亜鉛版が腐食してゆく様をみている時間が楽しい。 どんどん色が変わる。
yoko