2013/03/20

山の絵




去年は、抽象的な山の絵を描いていました。
それは、多くの人が思う山の形を一枚の平面に表したとき
一番重なり合い、くっきりとしたラインをなぞるという方法で描いていました。
その上で、自分なりの表現を加えていく・・・・。

現代アートが、極みを目指すという流れであれば
逆方向に視点を移し、より、パブリックな形を探っていました。
これが自身の方法論であり、ここが自分のできる表現と思ったからです。
普通の人やしね^^
草間彌生にはなれない・・・・。

なぜ、山?
ということに関しては
3年ほど前よりものが生まれて消えていくという流れの企画展を
地元である綾部で開催していました。
1年目は、ものが生まれるということ。
そこには、素材の力があり、その魅力をどう引き出していくかが
もの作りの最初ではないかな?という問いかけ。

2年目は、ものが亡くなるということ。
ものが、消えていくにはいろんな過程があり、
ゴミとして、目の前から消す方法もあるけど、
自身で見届けるという方法もある。
どちらかと言えば、見届けるという方向に世の中が動けば
もっと、スローなくらしが生まれてくるのでは・・・。
という問い。

では、ものの循環を感じるにはどのようにしたらいいのか?
という問いを3年目に開催しました。
ものが生まれて、無くなるまで、見届けるには
何が必要なんだろう?
そこには、やさしさが必要なのでは・・・・。

という訳で、やさしい形を探りました。
そこで、行き着いたのが、山。
ある日の夕方、山の中の道を走っていると
柔らかい光の中、谷間に、わずかな光をもらって、作られていた田んぼに出会いました。
ゆっくりとした空気が流れていて、
やさしい~って思いました。
人のよい行いも、おろかな行いも、ずっと昔より、心あたたく見守ってきたのが、山であり、大地である。
そんな理由から、モチーフを山にしました。



写真は、去年描いたもので、今回の作品展には出展しません。
「間」では、もう少し個人的な部分をテーマに作品を作っています。
が、同じような方法で、モチーフに向き合っています。
自分とその絵を持つ誰かとの波長の合う部分を探っています。



(ハタノワタル)